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故人人生記録


​油の染み込んだ作業着に身を包み、車の下で工具を使いながら修理する父の姿を思い出します。
洗濯を何度しても取れない油じみ。今にして思えば、それが父の勲章に思えてきます。
父は八人きょうだいの長男で、幼いころは貧乏だったと聞きます。
貧乏から抜け出すという思いで、一生懸命に生きてきました。
先見の明で「これからの時代、自動車が必需品になる。だから整備工場をする」と事業を興しました。
いつもお客様第一で、家族で出かけることになっていても、お客様から連絡が入れば飛んで行きました。
当時は、それが理解できず、悲しかった気持ちが甦ります。
忙しい父でしたが、家族思いでした。
口数は少ないものの私たちや親族を大切にしてくれました。
和を重んじ、家族、親族が仲良く暮らすことが父にとっては一番だったように思います。
毎年のように親族三十人くらいで、マイクロバスで旅行したことも今では良い思い出です。
「無言実行」父がよく言っていた言葉です。
最後まで黙々と自身の夢をカタチにしてきた父を誇りに思います。



亡父 難波一也のあゆみ

昭和十二年十月八日 難波家の
長男として新潟県に生まれる
加茂農林高等学校卒業
昭和三十九年 長谷川家三女・慧子と結婚
昭和四十七年 難波車両農機具整備工場を設立
子ども三人に恵まれる
令和二年4月二十日 満八十二歳 逝去

喪主 難波睦誉
親族一同




 

​油の染み込んだ作業着

油の染み込んだ仕事着.jpg
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